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【2025/04/24 15:34 】 |
石狩太一
タイチ(男性、1980年3月19日 - )は、日本のプロレスラー。本名は牧 太一郎(まき たいちろう)。北海道石狩市出身。新日本プロレス所属。
目次 [非表示]
1 来歴
1.1 海外遠征
2 得意技
3 タイトル歴
4 入場テーマ曲
5 その他
6 脚注
7 外部リンク
来歴 [編集]

高校時代はレスリング部に所属し、道大会で優勝。全国大会の出場経験もある。
2001年、全日本プロレスが夏に開催した第1回BATTキャンプに参加し合格。
2002年12月2日、全日本プロレスの新潟・長岡市厚生会館大会にて土方隆司戦でデビュー。
全日本プロレスのジュニア戦線主要レスラーとして、2004年2月には大阪プロレス主催の『スーパーJカップ 4TH』に全日本プロレス代表で出場するも1回戦で大阪プロレスの村浜武洋に敗れた。
川田利明の付き人を務めながら試合を行っていた。2005年2月に川田が退団する際には、自分は川田の付き人であるという理由から石狩も全日本を退団し行動を共にしている。以降フリーランスとして活動し、多くの団体に登場している。主戦場の一つであるハッスルでは、不遜かつ非常識な言動で控え室で先輩選手に怒られまくるキャラクターで注目を集め、控え室のスーパースターと呼ばれる。しかし川田が高田モンスター軍に寝返ってしまい、川田の心を取り戻そうと愛憎師弟対決を4度行うも、全て返り討ちにあってしまった。また、女子レスラー風の衣装と化粧を施し「石狩太子(たいこ)」のリングネームを使ったこともある。
ハッスルとは契約を自ら打ち切り離脱。新日本プロレスの単発興行「WRESTLE LAND」に、邪道・外道とトリオを組み、「北海道」のリングネームを名乗った。
7月8日にディファ有明で開催された総合格闘技イベント「MOVE ON! Kings!」で、総合格闘技に初挑戦する予定であったが腰のヘルニア悪化および右肩腱鎖関節損傷のため欠場となった[1]。
その後、フリーとして旧友宮本和志のいるキングスロードへ登場。しかし団体解散後はしばらくZERO-ONE MAXに参戦。 最近は新日本プロレスに参戦し正規軍の一員として戦うことが多くなり2008年にはTNAへミラノコレクションA.T.とともに遠征することが決まった。しかしTNAでは一試合も試合をすることなく予定を早めて帰国をしたことを公式サイトで明らかになった。
帰国後、ミラノの技ロープパラダイスやギミックである透明犬(後に「ミケコ」と命名)を真似するようになり、ミラノとの抗争に発展し、シングルマッチが2度組まれるが、いずれも敗北。同年11月、犬猿の仲といわれたミラノと和解しタッグチームユニオーネを結成。G1 TAG LEAGUEに初出場するも1勝のみにとどまった。
2009年1月には東京ドーム第0試合に初参戦。同年より新日本プロレスの所属となった。4月には「石狩太一」から「タイチ」へと改名し6月のBEST OF THE SUPER Jrでは2年ぶりに出場。初めの4試合は全て敗北しいち早く予選落ちになったが、優勝候補とされていた田口隆祐、他団体出場のYAMATOを破り2勝4敗という結果となった。
6月20日、IWGPジュニアタッグ王座次期挑戦者決定戦を賭け田口隆祐、プリンス・デヴィットの「Apollo 55」と対戦。奮闘を起こし、「タイチ」コールも沸き起こったのだが、最後は田口のどどんで敗北。それから1か月が経った7月20日、Apollo 55が見事王座奪還に成功。再びIWGPジュニアタッグ王座を懸けて激突するがここでも敗れた。
その後、パートナーであるミラノが目の負傷で長期欠場(後に引退)となり、11月下旬からは金本浩二とタッグを組んでいる。
海外遠征 [編集]
2010年1月19日、CMLLへの長期遠征が発表。2月15日に同団体へ参戦するため、メキシコへ出発。同月19日(現地時間)にアレナメヒコ大会のセミファイナルに初登場。内藤哲也、レイ・メンドーサJr.と組んでストロングマン、Mr.ニエブラ、マキシモ組と3本勝負で激突。これにストレート勝ちを収めた。
3月21日のアレナコリセオ大会で対戦相手のラ・マスカラのマスクを剥いだことから因縁が勃発。5月7日に棚橋弘至、OKUMURAと組んで、ラ・マスカラ、イホ・デル・ファンタズマ、エクトール・ガルサ組とCMLL世界トリオ王座を賭けて対決。これに勝利し同王座に載冠。また、自身初のベルト奪取となったが、21日の初防衛戦にて同王座に陥落し短命政権で終わる。
同月23日にマキシモのキス攻撃を受けてしまったことから因縁勃発。6月6日、CMLLのビッグイベントの一つとされているシン・サリダ興行のメインイベントでカベジェラ・コントラ・カベジェラマッチとしてマキシモと対戦。パワーボムで潰されピンフォール負けを味わい丸坊主に。試合後、「今日の恨みは絶対に果たす」と強くリベンジを誓った。
得意技 [編集]

ジュニアヘビー級らしい躍動感のある技と、師である川田を受け継ぐかの様なハードヒットな蹴り技を駆使した闘い方を見せる。
ブラック・メフィスト
CIMAの得意技であるシュバインのように相手を逆さまにかつぎ、相手の足を交差させてマットに垂直落下気味に落とす。脳天から後頭部にかけてダメージを与える石狩のフィニッシュ・ホールド。シュバインは胴タックルから抱えあげるのに対して、こちらは相手の股に頭を突っ込んで持ち上げる。名前の由来は師匠・川田の海外遠征時代の時のリングネーム。
スイングDDT
試合中盤で放つことが多い技。回転途中に右手でサードロープを掴んで自身の身体を振り上げ落差を増す。
フランケンシュタイナー
相手に側方から飛び付いて旋回しつつ身体を捻って投げ捨てる。コルバタに近い。
ドロップキック
打点が高くフォームも美しい。
トラース・キック
ミラノコレクションA.T.との合体技で、左右から挟み打ちにするものは「スーパー・スクラップ・キック」と名付けて使用している。
フロントハイキック
師である川田が得意とするコーナーへの串刺し式も使用。
ステップキック
これも師である川田が得意とする蹴り技の一つ。相手の頭を抑えつけ、顔面を小刻みに蹴り上げる。
しょっぱい顔へのケリ
スクリューハイキック。
マトリックス
相手をコーナーへスルーし助走をつけながらセカンドロープに足を乗せる。そしてロープを踏み台にして軽くジャンプした後、振り上げた足の甲で相手の側頭部を捕らえる。
マトリックス2
マトリックスの改良版。上記の通りに跳躍しドロップキック気味に相手の胸へ蹴り上げる。
各種キック
上記の蹴り技以外にもローキック、ミドルキック、ハイキックを使い分ける。
鬼葬
飛びつき式に腕と足を決める複合サブミッション。ZERO-ONEの試合に出場した時に日高郁人から伝授された。
スーパージュニア殺し
変型十字固め。
タイトル歴 [編集]

CMLL世界トリオ王座(パートナーは棚橋弘至・OKUMURA)
入場テーマ曲 [編集]

「pageant」(Moi dix Mois)
「forbidden」(Moi dix Mois)
「pain〜wing」(Art Cube)
「季節の中で」(松山千春) - デビュー当初に使用
その他 [編集]

自身のブログ「新・石狩生活」でミラノにブログジャックされたことがある。その後、後藤や岡田などにもジャックされた。
趣味は競馬でブログでは度々このことが書き記されてはいるが、つくづく外れてしまっている。
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【2010/12/28 19:06 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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