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【2025/04/24 12:26 】 |
高橋裕二郎
高橋 裕二郎(たかはし ゆうじろう、男性、1981年1月13日 - )は、日本のプロレスラー。日本体育大学卒業。新潟県新潟市出身。新日本プロレス所属。
目次 [非表示]
1 経歴
2 得意技
2.1 合体技
3 タイトル歴
4 入場テーマ曲
5 その他
6 脚注
7 外部リンク
経歴 [編集]

東京学館新潟高校時代にレスリングを始め、日本体育大学へ進学。グレコローマン84kg級の全日本学生選手権王者となる。卒業後生活するため、飯を食っていくためにとプロレスラーになる道を選び、1年間高校で保健体育の教師をしたのちに2003年末に行なわれた新日本プロレス入団テストに合格した。
半年の練習生期間を経て2004年7月26日、後楽園ホール興行での対山本尚史戦でデビュー。ちなみにデビュー時のコスチュームは近年では異例のアマレスパンツ。黒、赤、青とカラーバリエーションを変えていたが、2005年秋より黒いショートタイツに変更。2007年3月、田口隆祐に次ぐ門下生第2号としてサムライジムに入門した。
2007年5月22日にサムライジムの看板を奪われた稔を倒すべくIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦。6月にはベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに初出場。今大会優勝者だったミラノコレクションA.T.を見事下し大金星を上げる。2008年3月に内藤哲也とタッグチーム「NO LIMIT」を結成し、コスチュームもオレンジを基調としたタイツに変更。4月13日に獣神サンダー・ライガー、AKIRA組が持つIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。敗れはしたもののレジェンドに恐れぬファイトを見せつけ注目を浴びた。5月にはZeppツアーにてNO LIMIT 5番勝負が組まれたが、全敗。6月には2年連続でベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに出場。しかしスタートダッシュでは失敗に終わり開幕4連敗を喫するも、公式戦最終日にて稔をムーンサルトプレスで勝利を飾り約1年越しのリベンジを果たした。
10月13日に稔、プリンス・デヴィット組からIWGPジュニアタッグ王座を奪取。2度目の挑戦にして悲願の初タイトルを獲得した。その後邪道、外道組と対戦し防衛を果たすも翌年2009年1月4日、アレックス・シェリー、クリス・セイビンの世界有数のタッグチーム“モーターシティマシンガンズ”相手に2度目の防衛に失敗。海外流出を許した。
同年2月、両国大会の4wayタッグマッチに勝利し、内藤と共にアメリカに渡米。TNAに参戦し2009年3月31日(現地時間)、TNAオーランド大会でモーターシティ・マシンガンズに再戦も勝利ならず。さらに自分鍛えあげるためにそのままTNAに継続参戦。同年4月19日、シックスサイドスチール3way形式のタイトルマッチに挑戦。しかし、内藤が直前の試合で左膝を負傷するアクシデントが発生し本領発揮ならず。ここでも敗北を喫した。
5月からメキシコに舞台を移す。同月29日に内藤、ドス・カラス・ジュニアと組みCMLLに初登場。以降継続的に参戦し活躍したが、12月4日に行われた髪切りマッチに敗れ、髪を刈られ丸坊主となった。また、階級をジュニアヘビー級からヘビー級へと転向。
2010年1月4日、内藤と共に新日本へ一時帰国しブラザー・レイ、ブラザー・ディーボンの持つIWGPタッグ王座で凱旋試合を行う(この試合は3wayマッチとして行われもう1組の挑戦者はジャイアント・バーナード、カール・アンダーソン組だった)。この試合に勝利し第55代IWGPタッグ王者に輝いた。2月14日にはメキシコで行われた髪切りマッチで敗れ丸坊主にされた怨敵であるテリブレ、テハノJr.組とタイトルマッチ。これにリベンジを果たし、王座初防衛。同年3月5日よりリングネームを本名である「高橋裕二郎」に変更した[1]。
得意技 [編集]

ムーンサルトプレス
現在使っている技の中で、最もフィニッシュ・ムーブとなっている。
東京ピンプス
変形のカナディアンハンマー。カナディアン・バックブリーカーの体勢から、相手を前方に大きく旋回させて、開脚ジャンプを加えつつ、うつ伏せに顔面からマットに叩きつける荒技。ヘビー級転身から使い始めており、ここ最近では、フィニッシュ・ムーブとして使うこともある。
ギロチンドロップ
ダイビング式は時折、フィニッシュとなっている。
インターカレッジ・スラム
オリンピック・スラムと同型。通称インカレ・スラム。はじめてIWGPを取った時にフィニッシュとなった技でもある。
ユウジロウズ・リフト
サイド・スープレックスの体勢から相手を持ち上げ、パワーボムの形で落とす。うつぶせに倒れている相手を無理矢理引き起こしてからパワーボムに移行したり、アバランシュ・ホールドに移行したりする。
ラリアット
内藤のジャックナイフ式エビ固めとの連携で使う。
ダイビング・ヘッドバット
若手時代から得意としている。
張り手
永田裕志を一時的にダウンさせるほどの威力を持つ。
スピアー

合体技 [編集]
リミットレス・エボリューション
内藤との合体技。相手の体をリフトアップさせ、そのまま相手の両足を下へ引っ張りながら2人は背中からマットに倒れこみ、落下させた相手の背中を叩きつける。
リミットレス・ドリーム
内藤との合体技。内藤がブレーンバスターの要領で裕次郎の肩に乗せ、そのまま首を抱えた内藤がネックブリーカー・ドロップ、裕次郎がパワーボムのような格好で後頭部をマットに叩きつける。
リミットレス・エクスプロージョン
内藤との合体技。内藤がリバース・パワーボムの形で相手を持ち上げるのを見計らって裕次郎がロープへ走り、相手の首に飛びついてスタナーを叩き込む。
タイトル歴 [編集]

新日本プロレス
IWGPジュニアタッグ王座(第22代、パートナーは内藤哲也)
IWGPタッグ王座(第55代、パートナーは同上)
入場テーマ曲 [編集]

Du Hast / Rammstein
Huge Gliding
その他 [編集]

顎の骨折による入院中、看護婦さんの目を盗んで脱走。ジムでトレーニングに励み、主治医に怒られた。棚橋曰く「退院したら、入院前より体がビルドアップされてた」。
レスリング日本選抜選手権代表・岩崎裕樹は同級生であり友人。
本名は“裕二郎”であるものの、多くの書類で“裕次郎”と誤植され、それなら「石原裕次郎にあやかりましょう」と、“高橋裕次郎”のリングネームでデビュー。3戦目より“裕次郎”に再改名した。
料亭料理長の父親を持ち、道場でその腕を振るう。現在は地元新潟で居酒屋定食たかはしを開業している。
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【2010/12/28 19:07 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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