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【2025/04/25 03:14 】 |
佐藤耕平
佐藤 耕平(さとう こうへい、1977年9月21日 - )は、日本の男性プロレスラーである。東京都江東区出身。ZERO1所属。駒澤大学高等学校柔道部→大東文化大学中退。大学ではプロレスラー・橋本友彦と同級生。
背中左肩部の虎の刺青が特徴でありトレードマーク(以前はその刺青は虎の輪郭だけを描いたものであったが、2004年頃からちゃんと全体を描いたものになる)。
ファイトスタイルは狙った獲物を徐々に苦しめ、最後にしぶとく狙っていくタイプである。
ニックネームは「若虎」。「FIGHTING TV サムライ」のZERO1-MAX中継の実況担当の塩野潤二は、彼のことを「反逆の鬼武者」と呼んでいる。
リングインのテーマ曲は、Bondの「VIVA」(ビバルディの「四季」の“冬”のアレンジ曲)。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 タイトル歴
4 その他
来歴 [編集]

1998年、プロレスラーの村上和成、空手・キックの猛者だった藤井毅、スポーツインストラクターでプロ格闘家の岡田孝(現・三州ツバ吉)が千葉県内に設立した格闘技道場に参加。プロ修斗に出場して2戦2勝(1999年7月16日、藤井克久に1R TKO勝利など)の実績をひっさげてZERO-ONEに入団した。
2003年に海外修行を果たし凱旋、かつては横井宏考とチーム名「ROWDY」として共闘。当時、崔領二は長期欠場中で、横井はZERO-ONEにはフリー参戦している状態であったが(後にZERO1-MAXになって正式入団)、2人の技術の向上のためにと敵対していた佐藤と横井がユニットを結成した。現在は主に崔領二をパートナーにトップ選手への挑戦を続けている。
ZERO-ONE入団当時は長身だけが目に付く痩せこけた感じの選手であった。しかし2001年9月に開催された「火祭り」の第1回大会において大谷と決勝戦を行い、敗戦したものの準優勝となった。その後も橋本真也の付き人として世話をする傍らで、橋本とのタッグでザ・プレデター、トム・ハワード、ネーサン・ジョーンズ、マット・ガファリといった大物外人との戦いを経験し、やられながらも頭角を現す。そして「ZERO-ONEを将来背負って立つ男」と将来を嘱望される逸材として注目される。
しかし体の方は依然ヒョロヒョロで体重もギリギリでヘビー級であるという感じで、格闘家ではあるがプロレスラーらしくない体格で凄みが感じられなかった。2004年にスランプに陥ったこともあり、橋本真也に単身アメリカでの無期限の武者修行を命令された。
およそ3か月して帰国した佐藤は、ウエイトアップし体重115kgの体格を引っさげての凱旋となった。そして2004年の第4回火祭りではAブロックで田中将斗と大谷晋二郎を破る金星があり、決勝に出場。大方の予想では圧倒的にBブロック制覇の大森隆男の優位であったが、佐藤耕平のこの一戦のために温存していた必殺技“ポールスター”を決め大森からフォールを奪い、初戴冠を成し遂げた。以後はヤング・MAXと銘打たれた若手軍団の筆頭レスラーとなった。
2005年の暮れからはハッスルにおいて、モンスター軍として出場を重ねた。リングネームは佐藤耕平であるが、キャッチフレーズは共闘する川田利明の「モンスターK」に倣い、「モンスターK’」(ケーダッシュ)である。なお、ZERO1-MAXのメンバーでは唯一のモンスター軍であったが、ハッスル24から大谷晋二郎がモンスター軍に加入した(それまで、大谷はACHICHIというギミックであった)。
2005年10月、新日本プロレスとの対抗戦が勃発し、大谷晋二郎・崔領二・神風とタッグを組み、ZERO1-MAX代表チームとして新日本軍の天山広吉・飯塚高史・吉江豊・山本尚史組との8人タッグマッチを自身初の東京ドームにて実現した。ちなみに、佐藤が普段は敵対する大谷晋二郎とタッグを組むのは異例であり、以前2003年に全日本プロレスとの対抗戦で大谷・田中の炎武連夢の試合で田中が急遽欠場した際に大谷のパートナーとしてタッグを組んだくらいであった。
2006年1月4日、昨年秋から勃発した新日本プロレスとの抗争第2ラウンドで、新日本の中邑真輔とのシングルマッチが組まれ、マスコミ関係者ならずとも“次世代のエース決定戦”と新年早々注目を浴びる。しかし、同日のメインイベントでIWGP王者ブロック・レスナーに挑戦する筈の藤田和之の欠場でその挑戦権が急遽中邑になったため、佐藤対中邑は幻となってしまった。
ZERO1-MAX9月大会では大学時代の柔道部の同胞、橋本友彦とのシングルマッチが実現。共に柔道部を逃げ出したという旧知の仲であり、当時の柔道成績は巨漢に勝る橋本の圧勝であったが、このプロレスとしての試合は、圧倒的な橋本ペースを挽回して佐藤の勝利に終わった。
ZERO1-MAX内においては、大谷晋二郎、田中将斗、大森隆男といった30歳代選手に刃向かう新世代選手の旗頭として、これらの選手を敵に回し奮闘している。かといって最近は、同じZERO1-MAX内の他の新世代選手(特に崔領二)らとタッグを組み共闘するといったことも無く、2007年から参戦したフリーの高山善廣やROWDYとして元のタッグパートナーである横井宏考とタッグを組む場合が多かった。
2006年下半期から2007年3月においては怪我が多く、戦線離脱することがあった。
2007年、無断欠場や会場入りの遅刻といった奇行が目立ち、団体から外れる行動が多くなり、ZERO1-MAXを解雇処分となった。ただし、フリー参戦の形で団体には引き続き帯同した。
2009年3月、再びZERO1へ再入団した。
2010年4月、川田利明を破り、第7代世界ヘビー級王座となった。
得意技 [編集]

ポール・スター
基本はノーザンライトボムだが、相手を抱え上げてから自分の足で相手の足をフックして叩きつけるのが完全形。あまりにも難度が高すぎてめったに見せない。最上位のフィニッシュムーブ。
ジャーマン・スープレックス・ホールド
決め技として最も多用される。相手を一旦クレーンで吊り上げる様に滞空させてから投げつける独特のフォームで、「二段式ジャーマン」とも呼ばれる。
ファルコンアロー
フォールへはいることは少なく、フィニッシュへのつなぎ技としての使用が多い。
ブレーンバスターのクラッチで抱え上げ、頂点に来たところで相手の体を反転させて前方へ背中を叩き付ける技。
三角絞め
ミドルキック
主に走り込んできた相手へのカウンター技として使用し、相手のスピードを利用して放つ。
ニーリフト
同上。カウンター技としての使用が中心。
サッカーボールキック
払い腰
パイルドライバー
崔虎
崔領二との合体技。片方が相手を肩車し、もう片方がスワンダイブ式ミサイルキックを決める。
タイトル歴 [編集]

NWA・ZERO-ONE認定UNヘビー級王座
NWAインターコンチネンタルタッグ
(2回/パートナーは崔領二→高山善廣)
火祭り優勝(1回/2004年)
ZERO1 世界ヘビー級王座
アジアタッグ(第72代 パートナーは横井宏考)
その他 [編集]

ハスキーな声が特徴(ハスキーを通り越し、完全に喉が潰れている)。談話などを聞いても言っていることが非常に分かりづらく、ハッスルにおいては途中で川田利明に「おめー何言ってるのか分かんねんだよ」とマイクを取り上げられることもある。
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【2010/12/29 18:21 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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