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華名(かな、本名:浦井 佳奈子(うらい かなこ)、1981年9月26日 - )は、日本の女子プロレスラー、イラストレーター、ウェブデザイナー、ゲームライター。身長160cm、体重62kg、血液型O型。大阪府大阪市出身。大阪国際滝井高等学校卒業。大阪芸術大学短期大学部卒業。2009年7月1日、株式会社オフィス華名を設立。
目次 [非表示] 1 経歴・戦歴 2 華名のマニフェスト 3 必殺技 4 入場テーマ曲 5 獲得タイトル 6 外部リンク 経歴・戦歴 [編集] 2003年6月にAtoZに入門。 2004年6月16日、東京・後楽園ホールにおいて、対玲央奈戦でデビュー。全日本女子プロレスのタッグ・トーナメントで準優勝。パートナーは堀田祐美子。しかし、同日のつくば大会の西尾美香戦で左手首を骨折してしまう。 2005年5月4日、ジャガー横田戦で復活し、ダンプ松本、豊田真奈美、前川久美子等と激戦を繰り広げた。「AtoZは最高です!!」がキーワードであるAtoZの看板選手だった。 2006年3月19日、慢性腎炎による体調不良で引退。その後は前職であるデザインの仕事を再開し、デザインオフィス華名を立ち上げ。以降、エンターブレインの発刊誌ファミ通Xbox360でゲーム記事を担当するライター業も行っている。 2007年8月4日、再びプロレスラーとして現役に復帰する意向を発表。9月22日、プロレスリングSUNのリングで高橋奈苗とのシングルマッチで復帰。 2008年レギュラー参戦のNEO女子プロレスにおいて、高橋奈苗、夏樹☆たいよう、華名でトリオユニット『パッション・レッド』を結成。 2008年10月27日、格闘探偵団バトラーツ主催による女子版UWFを掲げた興行『女王バチ』のメインで、バトラーツ女子第一号の及川千尋との激戦を制し女UWFの第一人者であるとアピール。 2009年7月1日、株式会社オフィス華名を設立し、代表取締役社長となった。 2010年1月23日、『パッション・レッド』リーダー高橋奈苗との見解の相違を理由に、NEO新木場大会をもって『パッション・レッド』からの離脱を表明。その後、両者共シングル戦を希望していたが、NEO社長・甲田哲也は、「1%の信頼関係すらない状態では試合として成立しない」との判断から、試合を組まないとの決定を下した(代わりの相手には既にタッグ戦が決まってたさくらえみとなり、さくらは1興行2試合を戦う羽目に)。この影響で、高橋と共に出場予定だったセンダイガールズ主催「第2回戦場トーナメント」のエントリーも、「諸事情」を理由に取り消し、植松寿絵が代替出場。 2010年4月29日に初の自主興行「カナプロ」を開催。特別試合として藤波辰爾も参戦するなど男女の枠を越えた面子が集まった。 6月19日、紫雷美央、紫雷イオとユニット「トリプルテイルズ」を結成。 週刊プロレス8月18日号にて「華名のマニフェスト」を発表。女子レスラーとしては異例とも言える表紙も飾った。 パッション・レッドを離脱して以降はSMASH、プロレスリングWAVEを主戦場としている他、ローカルインディー団体などにも継続してスポット参戦を続けている。 2011年1月10日、2度目の自主興行「カナプロ2」開催が決まる。前回同様男子レスラー多数参加。 華名のマニフェスト [編集] 2010年、SMASHにおける朱里との抗争で「マニフェスト」を度々口にしていたが、「週刊プロレス」8月18日号にて女子プロレス改革を謳った「華名のマニフェスト」として発表した。 その内容は以下の五箇条からなる。 「無きに等しい女子レスラーの存在価値」の見直し 個性の確立できぬ者は去れ 女子プロレスファンにだけ通用するプロレスは即刻やめるべし レスラー同士の慰め合い、傷の舐め合いはするな 嗚呼、無情。偽物の技の救出 このマニフェスト発表後、某大物女子レスラーからTAJIRI経由で抗議電話が来たり、JWPのレスラー陣がSMASHに乱入して抗争に発展するなど、物議を醸した。 必殺技 [編集] ビリケン倒し 尻餅をつかせた相手の正面にあるロープに跳んで助走をつけ、相手の顔面へ低空のジャンピングヒップアタック。 ヒップアタック カナゴン ドラゴン・スリーパーとキャメルクラッチを複合したりリバースDDTと複合させた技。 入場テーマ曲 [編集] 檄!帝国華撃団 情熱浪漫乙女 - 復帰後のテーマ曲 太陽は昇る 大神 - SMASH参戦時等 獲得タイトル [編集] 第11代NEO認定タッグ王座(パートナーは高橋奈苗) PR |
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