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【2025/04/28 18:36 】 |
クリストフ・ミドゥ
クリストフ・ミドゥ・"ザ・フェニックス"(Kristof Midoux "The Phoenix"、男性、1972年7月30日 - )は、フランスの総合格闘家。ニース出身。Le Banner X trem Team所属。
フランスにおける総合格闘技の先駆者で、ヨーロッパのメディアでは「フランスで一番のMMAファイター」と紹介される。ジェロム・レ・バンナの総合格闘技コーチも務める。バックボーンは柔術、空手。他にボクシング、レスリング、サンボも練習。
右腕に「クリストファ」、左腕に「浪人」と日本語のタトゥーを彫っている。
目次 [非表示]
1 来歴
2 戦績
3 主な獲得タイトル
4 関連項目
5 外部リンク
来歴 [編集]

8歳から松涛館で空手を始め、極真空手四段の腕前。UFCで活躍するホイス・グレイシーに傾倒し、再三ブラジルに渡り、ブラジリアン柔術を始める(茶帯)。
2000年、交通事故で首の骨を2本折る重症。2年に渡る闘病生活を経て、格闘技に復帰した。彼のリングネームである、「不死鳥」を意味する"ザ・フェニックス"はこの経験によりつけられている。
2003年12月31日、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!にてトム・ハワードと対戦、1R、チョークスリーパーで一本勝ち。
2004年11月20日、Rumble on the Rockでマイク・マローンと対戦、パンチの連打で1R、KO勝ち。
2004年12月31日、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!でザ・プレデターと対戦、1R、ネックロックで一本負け。
2005年11月5日、HERO'S 2005 in SEOULにてイム・ジュンスと対戦、膝蹴りで倒してからのパンチで1R50秒、レフェリーストップによるTKO勝ち。
2007年4月14日、BodogFightでローマン・ゼンツォフと対戦し、1R終了時にセコンドからタオルが投入されTKO負け。
戦績 [編集]

総合格闘技 戦績
16 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
6 勝 3 3 0 0 0 0
10 敗 6 3 1 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× バガ・アガエフ 3R終了 判定 X-Impact World Cup 2007年10月20日
○ アンドレイ・シャギン 1R チョークスリーパー X-Impact World Cup 2007年10月20日
× ブラッド・モリス 2R終了時 TKO(タオル投入) BodogFight 2007年8月24日
× ローマン・ゼンツォフ 1R終了時 TKO(タオル投入) BodogFight - Clash of the Nations 2007年4月14日
× ローマン・ゼンツォフ 2R 4:12 TKO(パウンド) BodogFight 2006年12月15日
× ジェイク・オブライエン 2R 0:52 TKO(パウンド) UFC Fight Night 6 2006年8月17日
○ イム・ジュンス 1R 0:50 TKO(パウンド) HERO'S 2005 in SEOUL 2005年11月5日
× ザ・プレデター 1R 1:11 ネックロック K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! 2004年12月31日
○ マイク・マローン 1R 0:34 KO(パンチ) Rumble on the Rock World Championship 2004 2004年11月20日
○ トム・ハワード 1R 4:21 チョークスリーパー K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!! 2003年12月31日
× アントワーヌ・ジャウジ 1R 3:58 TKO(ドクターストップ) HOOKnSHOOT - Absolute Fighting Championships 2 2003年3月28日
× ファブリシオ・ヴェウドゥム 1R 4:11 腕ひしぎ三角固め World Absolute Fight 2 2003年3月22日
× ジェレミー・ホーン 2R 1:02 肩固め Universal Combat Challenge 11 - The Next Level 2002年10月11日
× トラヴィス・フルトン 1R 8:50 KO International Fighting Championships - Battleground 2000 2000年1月22日
○ アンソニー・デュランテ 1R 0:40 腕ひしぎ十字固め IFC - Montreal Cage Combat 1999年10月9日
○ マイク・モリス 1R 0:09 KO IFC - Fighters Revenge 1999年4月2日
主な獲得タイトル [編集]

サークルダージェント 優勝(1998年)
ゴールデングローリー 優勝(1999年)
I.F.C. ヘビー級 準優勝(2000年)
I.F.C. 4-Menトーナメント ヘビー級王者(2000年)
JKSカナダレスリングトーナメント 王者(2003年)
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【2011/01/07 21:20 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
ヴィニシウス・マガリャエス (1984年生)
ヴィニシウス・"ヴィニー"・マガリャエス(Vinicius "Vinny" Magalhães、男性、1984年7月2日 - )は、ブラジルの総合格闘家、ブラジリアン柔術家。リオデジャネイロ州リオデジャネイロ出身。グレイシー・チジューカ所属。
ブラジル人では2人目のThe Ultimate Fighter参加者である[1]。
目次 [非表示]
1 来歴
2 戦績
2.1 プロ総合格闘技
2.2 TUF 非公式戦
2.3 グラップリング
3 獲得タイトル
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
来歴 [編集]

1998年にブラジリアン柔術を始める。2000年からはムンジアルにも出場、2005年には茶帯でスペルペサード級(-97kg)と無差別級の2階級制覇を成し遂げ、2007年は黒帯ペサディシモ級(+97kg)で3位に入賞を果たしている。グラップリングでも数々の大会に出場、2006年5月26日にはプロ大会LA SUB XでTUF 8でコーチを務めたロバート・ドリスデールに勝利している。
2004年からは総合格闘技の練習を始めるべくカリフォルニアのシーザー・グレイシー柔術アカデミーに移っている。2006年11月にデビューを果たし、TUF参加までに5戦のキャリアを積んでいた。
2008年はUFCのリアリティ番組「The Ultimate Fighter」のシーズン8に参加。エリミネイションバウトでラシャド・エヴァンスの弟ランス・エヴァンスに勝利すると、フランク・ミアからはライトヘビー級3位の指名を受ける。その後はジュールス・ブルーチェス、クシシュトフ・ソシンスキーに一本勝ちし決勝に勝ち上がった。12月13日、The Ultimate Fighter: Team Nogueira vs. Team Mir Finaleで行われたライアン・ベイダーとの決勝戦では2分過ぎにベイダーの右フックを受けダウン、そのまま回復できずパウンドを受けTKO負けとなり、準優勝となった[2]。
2009年4月18日、UFC 97でエリオット・マーシャルと対戦し、0-3の判定負け。UFC2連敗となり、UFCをリリースされた。
戦績 [編集]

プロ総合格闘技 [編集]
総合格闘技 戦績
10 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
4 勝 0 4 0 0 0 1
5 敗 1 1 3 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× ペドロ・ガリーザ 5分3R終了 判定0-3 Shark Fights 9 2010年3月20日
○ マイク・ニッケルズ 1R 1:19 腕ひしぎ十字固め Ring of Fire 36: Demolition 2009年12月4日
○ クリス・デイヴィス 1R 1:13 三角絞め CFP: Carolina Crown 2 2009年10月24日
× エリオット・マーシャル 5分3R終了 判定0-3 UFC 97: Redemption 2009年4月18日
× ライアン・ベイダー 1R 2:18 TKO(右フック→パウンド) The Ultimate Fighter: Team Nogueira vs. Team Mir Finale
【TUF 8ライトヘビー級トーナメント 決勝】 2008年12月13日
× ラファエル・デイヴィス 2R 3:03 ギブアップ Valor Fighting: Fight Night 2008年3月7日
○ ルイス・オジェダ 1R 0:19 腕ひしぎ十字固め MMA Xtreme 18 2008年1月26日
○ アドルフォ・デラトーレ 1R 0:21 腕ひしぎ十字固め MMA Xtreme 15 2007年11月16日
× ジョージ・ブッシュ 5分3R終了 判定0-3 Gracie Fighting Championships: Evolution 2007年5月19日
- クリス・ラーキン 無効試合 Gracie Proving Ground 1 2006年11月11日
TUF 非公式戦 [編集]
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
○ クシシュトフ・ソシンスキー 1R 3:45 腕ひしぎ十字固め The Ultimate Fighter 8
【ライトヘビー級 準決勝】 2008年6月26日
○ ジュールス・ブルーチェス 1R 3:28 腕ひしぎ十字固め The Ultimate Fighter 8
【ライトヘビー級 2回戦】 2008年6月10日
○ ランス・エヴァンス 2R 0:34 TKO(脇腹の負傷) The Ultimate Fighter 8
【ライトヘビー級 1回戦】 2008年5月21日
グラップリング [編集]
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× ウラジミール・マティシェンコ 4分2R終了 判定 X-MISSION 2006年11月17日
○ ロバート・ドリスデール ポイント1-0 LA SUB X 2006年5月26日
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
獲得タイトル [編集]

ブラジリアン柔術世界選手権(ムンジアル)黒帯ペサディシモ級 3位(2007年)
ブラジリアン柔術世界選手権(ムンジアル)茶帯スペルペサード級 優勝(2005年)
ブラジリアン柔術世界選手権(ムンジアル)茶帯アブソルート級 優勝(2005年)
【2011/01/06 22:14 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
├─≠ョ─ヵラスとデビッド・フォン・エリック
├─≠ョ─ヵラス アイアンクロー
├─≠ョ─ヵラス









├─≠ョ─ヵラス 「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの息子(三男、レスラーのエリック兄弟としては次男)であり、兄弟の中では一番の長身だった。
【2011/01/06 20:04 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
アンドリュー・マーチン
アンドリュー・テスト・マーチン(Andrew "Test" Martin、1975年3月17日 - 2009年3月13日)は、カナダの男性プロレスラーである。オンタリオ州トロント出身。リングネームテスト(Test)としての活動で最も知られる。かつてはミドルネームは異なる名前であったが、2005年に法的手続きを取り、ミドルネームに最も知られたリングネームを持つ形に改名した。最終所属はTNA。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 タイトル履歴
4 入場曲
5 脚注
6 外部リンク
来歴 [編集]

1997年にプロレスデビュー。デビュー後まもなくWWF(現WWE)と契約した。WWFへの初登場は、モトリー・クルーがWWFでバンド演奏を行った際のボディーガード役である。1998年に、ビンス・マクマホンのボディーガード役でレスラーとしてWWF初登場を果たす。
ビンス率いるコーポレーションの一員として活動した後、1999年にはビンスの実の娘のステファニー・マクマホンの恋人役として活動する。RAWの番組にて、ステファニーとアングル上の結婚を予定していたがトリプルHにステファニーを奪われる形でストーリーは終わっている。
2001年にはアルバート、トリッシュ・ストラタスとタッグチームT&Aを結成して活動。2001年後半にはWCW/ECW連合軍であるアライアンスに加入した(ただしマーチンは両団体に所属した経験はない)。
2002年には、クリスチャン、ランス・ストーム率いる嫌米軍に加入しヒールとして活動した。同年10月からは、当時実生活においても恋人関係にあったステイシー・キーブラーが番組上でも恋人兼マネージャーとなり、共に行動するようになった。ステイシーとは2003年のロイヤルランブルまで共に行動した。ステイシーと別れた後はスコット・スタイナーとタッグチームを組んだ。
2004年に入り、首の怪我が悪化しWWEを欠場するようになる。同年11月1日にWWEを解雇された。解雇後もしばらくはリングに復帰できないでいたが、2005年の5月にリング復帰。以降インディ団体を中心に試合を行っていた。
2006年に入り、WWEへの復帰話が浮上。同年3月22日に、WWEより復帰への合意が発表された。その後はWWEのECWに所属し、トップ路線として活躍していたが、スタイナーとの抗争の頃と比べてもあまりレスリング技術が発達していない上にマイクアピールもイマイチだった為、レスリング技術やハードコア重視のECWにとってはあまり合わない存在となっていた。 ステロイド使用が発覚したため、2007年2月に解雇された。
2007年8月2日のTNAに登場。"ザ・パニッシャー"アンドリュー・マーチンとして、スティング、アビスのフェイス軍に合流する。
2007年12月19日、プロレスからの引退を発表した。2008年3月のアイルランド遠征で最後の試合を行う予定であった。
2009年2月、引退を撤回しビッグバン・ベイダーがプロデュースする興行に参戦。
2009年3月13日、フロリダ州タンパにある自宅で死亡しているのが発見された[1]。
得意技 [編集]

TKO(デバースティングネックブリーカー)
ビッグブート
カウンターとしてではなく、自らが相手に向かって走りこの技を当てるため、非常に威力があった。
テスト・ドライブ(リバース・スインギング・ネックブリーカー)
パンプバンドル・スラム
ダイビング・エルボー
タイトル履歴 [編集]

WWW (Wild West Wrestling)
WWWヘビー級王座 : 1回
WCW
WCW世界タッグ王座 : 1回(&ブッカーT)
WWE
IC王座 : 1回
欧州王座 : 1回
ハードコア王座 : 2回
世界タッグ王座 : 1回(&ブッカーT)
入場曲 [編集]

This Is A Test
【2011/01/06 20:02 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
デイビーボーイ・スミス
デイビーボーイ・スミス(Davey Boy Smith)のリングネームで知られるデイビッド・スミス(David Smith、1962年11月27日 - 2002年5月17日)は、イギリス・マンチェスター出身のプロレスラー。正式な本名はデイビッド・ボーイ・スミス(David Boy Smith)であり、ミドルネームの「Boy」は、母親が出生届を書く際に、性別欄とミドルネーム欄を間違ったことから付いたといわれる。
従兄弟のダイナマイト・キッドとタッグチーム「ブリティッシュ・ブルドッグス」を組み、WWF(現・WWE)などで活躍した。ハート・ファミリーの総帥スチュ・ハートの四女と結婚(のちに離婚)しており、ブレット・ハート、オーエン・ハートらとは義兄弟の間柄にあった。ジョニー・スミスは親戚とされているが実際に血縁関係はない。
息子のハリー・スミスもプロレスラーとして活動しており、現在WWEでデイビッド・ハート・スミスと名乗っている。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
来歴 [編集]

1978年イギリスでプロレスラーとしてデビュー。その後ダイナマイト・キッドの後を追う形でカナダのカルガリーへ渡り活躍、頭角を現す。1982年に英連邦ミッド・ヘビー級王座を獲得。
1983年11月、新日本プロレスに初来日。ザ・バンピード(The Vampiedo)なる覆面レスラーとして、ザ・コブラとのNWA世界ジュニアヘビー級王座決定戦に出場したが、試合直前に自らマスクを脱ぎ捨て正体を明かした。ジュニアヘビー級離れしたパワーファイターであり、以降も新日本マットでキッドと共に活躍。当時の実際の体重は103kgでジュニアヘビー級のリミットである220ポンド(99.8kg)を超えており、実況で山本小鉄も3〜4kg落とさなければいけないと解説している。しかし、スピードを兼ね備えていることもあり、パワーを売りとしてジュニアヘビー級の階級で活躍していた。
1984年11月、キッドと共に全日本プロレスへ電撃移籍。同時期、ウェイト・アップを図ってヘビー級に転向し、更にパワーに磨きをかけた。全日本マットではジョニー・スミスともタッグチームを組んでいる。
1985年にWWF入りし、「ブリティッシュ・ブルドッグス(The British Bulldogs)」のチーム名で活躍。1986年4月7日にはレッスルマニア2のロサンゼルス大会に出場し、ドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)からWWF世界タッグ王座を奪取している。1988年末にWWFを離脱し、翌年より全日本プロレスに復帰するが、スミスが突然に他団体との契約をしてしまい、キッドとのチームは空中分解。これはキッドも聞いていなかったという。キッドによれば、その後スミスは「キッドが交通事故に遭い、次期シリーズは出られない」とのデマを全日本プロレスサイドへ流し、あやうくキッドが干されるところだった[1]。以後、スミスが死去するまで、キッドは一度も会わなかったという。
1990年、シングルプレイヤーとしてWWFと再契約。1992年8月29日には地元イギリスのウェンブリー・スタジアムで開催されたサマースラムにおいて、ブレット・ハートを破りインターコンチネンタル王座を獲得した。1993年2月からはWCWに参戦し、ベイダーらと抗争。ロード・スティーブン・リーガルとの英国人同士の抗争も展開した。
1994年よりWWFに復帰し、レックス・ルガーとの米英コンビ「アライド・パワーズ(The Allied Powers)」などで活躍。1996年からはヒールに転向して義弟のオーエン・ハートとタッグを結成、同年9月22日にスモーキン・ガンズ(ビリー・ガン&バート・ガン)を破り、再びWWF世界タッグ王座を奪取した。1997年にはハート・ファウンデーションに加わっている。同年11月9日のモントリオール事件以降WCWに移籍したが、1999年にヒールとしてWWFに復帰。WWFには2000年まで所属し、ザ・ロックらと対戦した。
2002年5月17日にカルガリーの自宅で心臓発作を起こし、39歳で死去。ステロイド剤投与とドラッグの影響だといわれている。
得意技 [編集]

ランニング・パワースラム
リフトアップ・スラム
ブレーンバスター
ロメロ・スペシャル
獲得タイトル [編集]

WWF
WWFインターコンチネンタル王座 : 1回
WWF世界タッグ王座 : 2回(w / ダイナマイト・キッド、オーエン・ハート)
WWFヨーロピアン王座 : 2回(初代王者でもある)
WWFハードコア王座 : 2回
スタンピードレスリング
スタンピード北米ヘビー級王座 : 2回
スタンピード英連邦ミッドヘビー級王座 : 1回
スタンピード インターナショナルタッグ王座 : 4回(w / ブルース・ハート×2、ダイナマイト・キッド×2)
脚注 [編集]

^ 『ピュア・ダイナマイト - ダイナマイト・キッド自伝』P297-298(2001年、エンターブレイン) ISBN 4757706391
関連項目 [編集]

ハリー・スミス
スチュ・ハート
ブレット・ハート
ダイナマイト・キッド
ジョニー・スミス
ブリティッシュ・ブルドッグス
ハート・ファウンデーション
【2011/01/06 20:01 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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