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【2025/04/29 22:13 】 |
トム・プリチャード
"ドクター" トム・プリチャード(Dr. Tom Prichard)ことトーマス・プリチャード(Thomas Prichard、1959年8月18日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州パサデナ出身。
元WWF世界タッグ王者。近年はWWEのトレーナーとしての活動で知られる。WWEのブッキング・コンサルタントを務めていたブラザー・ラブことブルース・プリチャードは彼の弟である[1]。
目次 [非表示]
1 来歴
2 獲得タイトル
3 指導選手
4 脚注
5 外部リンク
来歴 [編集]

ホセ・ロザリオのコーチを受け、1979年にデビュー[2]。キャリア初期はカリフォルニア州のNWAロサンゼルス地区にてベビーフェイスの新鋭として売り出され、1980年にアル・マドリルと組んでオックス・ベーカー&エンフォーサー・ルシアーノからアメリカス・タッグ王座を奪取。以降、パートナーを変えて同王座を通算4回獲得した[3]。1980年8月には同地区で藤波辰巳のWWFジュニアヘビー級王座に挑戦。翌1981年1月に新日本プロレスに初来日し、四日市にて藤波の同王座に再挑戦している[2]。
1983年から1984年にかけては太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウェスト地区で活動。その後、1985年よりアラバマ州のガルフ・コースト地区に入り、以降1980年代全般に渡り同地区(Southeastern Championship Wrestling / Continental Championship Wrestling / Continental Wrestling Federation)に定着。初期はUSジュニアヘビー級王者[4]、後にNWAアラバマ・ヘビー級王者(CWFヘビー級王者)となって活躍した[5]。
1989年より、ジェリー・ローラーとジェリー・ジャレット(後のTNA創設者)が主宰していたテネシー州メンフィスのUSWAを主戦場に活動。ヒールに転向して若手時代のスティーブ・オースチンらと共闘し、ジェフ・ジャレットやビル・ダンディーと抗争を展開した。1991年9月には旗揚げして間もないW★INGに来日、10年ぶりの日本マット登場を果たしている。
1992年からはノックスビルのスモーキー・マウンテン・レスリング(SMW)に参戦し、団体のオーナーであるジム・コルネットをマネージャーに迎え、スタン・レーンとヘブンリー・ボディーズ(The Heavenly Bodies)なるタッグチームを結成。ドクター・オブ・デザイア(Doctor of Desire)をニックネームに、ファンタスティックスやロックンロール・エクスプレスとタッグ王座を争った[6]。
1993年、当時SMWやUSWAとの業務提携を開始していたWWF(現・WWE)に登場。8月30日のサマースラムでは、ヘブンリー・ボディーズの新パートナーであるジミー・デル・レイとのコンビでスタイナー・ブラザーズ(リック&スコット・スタイナー)のWWF世界タッグ王座に挑戦した。1994年5月には、デル・レイとのヘブンリー・ボディーズで全日本プロレスに来日している。
SMWが活動を停止してからはコルネットと共にWWFとフルタイム契約を結び、1996年にはスキップことクリス・キャンディードと女性マネージャーのサニーのザ・ボディードナーズ(The Bodydonnas)に加入。スキップのタッグパートナーとしてジップ(Zip)を名乗り、3月31日のレッスルマニア12で行われた王座決定戦でヘンリー&フィニアスのザ・ゴッドウィンズを下しWWF世界タッグ王者となった[7]。
ボディドナーズ解散後はWWFのスタッフ(タレント・スカウト、ロード・エージェント、トレーナー)となって活動。トレーナーとしてはカート・アングルをはじめ数々のスター選手を指導している[8]。リングで試合をすることになったビンス・マクマホンやシェイン・マクマホンのトレーニング相手も務め、番組内のスキットにも登場した。また、ダイジェスト番組のカラー・コメンテーターやWWE.comでの自身のコラム執筆なども手掛け[9]、多才ぶりを発揮。WWE.comでは、トーク・コーナー "Byte This" のホストも担当していた[10]。
2004年にWWEを解雇されてからは各地のインディー団体でトレーナーを務める一方、選手として試合にも出場。2005年5月13日にはリック・スタイナーを破り、インディー版のタイトルとして復活したNWAアラバマ・ヘビー級王座を獲得した[5]。
2007年、ファーム団体の選手を指導するデベロップメント・トレーナーとしてWWEと再契約。現在はスティーブ・カーンが主宰するFCWのヘッド・トレーナーを務めている[11]。また、WWEでの活動と並行してインディー団体のレスリング・スクールでもセミナーを開講し、後進の指導・育成に尽力している[12]。
獲得タイトル [編集]

NWAアメリカス・タッグ王座:4回(w / アル・マドリル×2、アポロ・ジャリスコ、クリス・アダムス)
NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:3回(w / ブレット・ソイヤー)
NWA USジュニアヘビー級王座(サウスイースト版):5回
NWAアラバマ・ヘビー級王座:2回
CWFヘビー級王座:2回
USWA南部ヘビー級王座:6回
USWAテキサス・ヘビー級王座:2回
USWA世界タッグ王座:1回(w / ジミー・デル・レイ)
SMWタッグ王座:8回(w / スタン・レーン×5、ジミー・デル・レイ×3)
WWF世界タッグ王座:1回(w / スキップ)
 etc.
指導選手 [編集]

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