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【2025/04/30 01:49 】 |
コナン (プロレスラー)
コナン(Konnan)のリングネームで知られるカルロス・アシュノフ(Carlos Ashenoff、1964年6月6日 - )は、キューバ・サンディアゴ出身のプロレスラー。メキシコやアメリカのプロレス団体で活躍している。
目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 外部リンク
来歴 [編集]

6歳でキューバからアメリカに亡命。幼少期をフロリダ州マイアミで過ごす。1982年に地元の高校を卒業後、ストリートギャングの一員となった。更生後にアメリカ海軍に4年入りボクシングを習得。
除隊後はカリフォルニア州のサンディエゴに移住しボディビルを始める。同地のプロモーターに見出され、1987年1月6日にバハ・カリフォルニア州ティフアナの団体でデビュー。以降、1989年よりメキシコのUWA、1990年にはEMLLと転戦。1992年にはAAA入りした。1992年はサイボーグをモチーフとしたマスクマン、マックス・ムーンに変身してアメリカのWWFにも登場するが短期間で離脱(後任としてポール・ダイヤモンドが2代目マックス・ムーンに扮した)。
1995年のECW出場を経て、1996年からはWCWをアメリカでの主戦場に活動。参戦早々の1月29日、ワンマン・ギャングを破りWCW USヘビー級王座を獲得した。WCWでは1997年より「nWo」のメンバーとなって活躍。nWo消滅後の1999年はエディ・ゲレロ、レイ・ミステリオ・ジュニア、ビリー・キッドマンらと「フィルシー・アニマルズ」なるユニットを結成、10月18日にミステリオ・ジュニアとのコンビでハーレム・ヒートからWCW世界タッグ王座を奪取している。
1996年にはプロモ・アステカを旗揚げするも2004年に崩壊。同年にTNA入りし、BG・ジェイムス&ロン・キリングスと「3Live Kru」を、仲間割れしてからは「L・A・X」を結成。2006年に長期の病気で欠場後、同団体を離脱し2007年にはAAAに復帰した。
日本には1990年2月、マスクマンのコナン・エル・パルパロ(コナン・ザ・バーバリアン)としてFMWに初来日。1994年11月には新日本プロレスの『AAAルチャ・ワールド』に参戦した。
得意技 [編集]

187(変形DDT)
フェイスジャム(変形フェイスバスター)
ジップロック
テキーラ・サンライズ(変形ボストンクラブ)
獲得タイトル [編集]

LAWAヘビー級王座:1回
CMLL世界ヘビー級王座:1回
IWAS世界ヘビー級王座:1回
IWC世界ヘビー級王座:1回
AAAアメリカヘビー級王座:1回
CW US北西タッグ王座:1回(w / アート・バー)
IWAS世界タッグ王座:1回(w / レイ・ミステリオ・ジュニア)
WCW USヘビー級王座:1回
WCW世界TV王座:1回
WCW世界タッグ王座:2回(w / レイ・ミステリオ・ジュニア、ビリー・キッドマン)
WWCユニバーサル・ヘビー級王座:1回
WWC世界タッグ王座:1回(w / カーリー・コロン)
NWA世界タッグ王座(TNA版):2回(w / BG・ジェイムス、ロン・キリングス)
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【2011/01/03 23:23 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
マット・ハイソン
マット・ハイソン(Matt Hyson、1970年8月13日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ロードアイランド州プロビデンス出身。体重70kg前後と、レスラーとしては極めて軽量の部類に属する。
目次 [非表示]
1 経歴
2 得意技
3 タイトル履歴
4 出典
5 外部リンク
経歴 [編集]

プロレスラーになる以前は小学校で教師を務めていたという異色の経歴を持つ。[1] 1994年プロレスデビュー。[1] レスラーとしてブレイクしたのはECW所属後である。ギミック上の異母兄弟集団のダッドリー・ボーイズの『末弟』、スパイク・ダッドリーとして人気を博した。『兄』達とは対立し、時に共に行動した。
2001年のECW崩壊後はWWF(現WWE)に所属。1999年からWWF所属となっていた2人の『兄』、ババ・レイ・ダッドリー、ディーボン・ダッドリーと行動を共にした。2002年には同じECW出身のタズと行動を共にし、兄達からWWF世界タッグ王座も奪取している。
2004年にスマックダウンに所属してからはクルーザー級戦線のレスラーとして行動し、兄達と距離を置いたシングルレスラーとして活動した。
2005年7月5日、兄達と共にWWEを解雇された。ダッドリーズ関連の登録商標は全てWWEが持っており、以降スパイク・ダッドリーのリングネームを名乗れなくなり、本名のマット・ハイソンで活動を開始。本名をリングネームとして、主にインディ団体を中心に活動していた。2006年に入りTNAと契約。同年4月13日のTNA iMPACT!にてブラザー・ラントとして登場。2人の『兄』、ブラザー・レイとブラザー・ディーボンを助ける役であった。
のちシングルに転向したがストーリーラインから外れてしまい、2007年にTNAを解雇された。
その後はCZWに参戦、それに伴いリングネームをスパイク・ダッドリーに戻した。
得意技 [編集]

アシッド・ドロップ(ECW-TNA)/ダッドリー・ドッグ(WWE)
ダイビング・フットスタンプ
タイトル履歴 [編集]

WWE
クルーザー級王座 :1回
世界タッグチーム王座 :1回(w / タズ)
ヨーロピアン王座 : 1回
ECW
ECWタッグ王座:2回(w / ボールズ・マホーニー)
出典 [編集]

^ a b オンライン・ワールド・オブ・レスリング:スパイク・ダッドリー (英語)
外部リンク [編集]

TNA プロフィール
ハッスル・プロフィール
[隠す]
表・話・編・歴
CZW
王座
ヘビー級 * ジュニアヘビー級 * タッグ * アイアンマン * ウルトラバイオレントアンダーグラウンド * デスマッチ
殿堂
ロボ * ニック・モンド * ワイフビーター * ニック・ゲージ * ジョン・ダーマー
主力選手
エゴティスティコ・ファンタスティコ * サビアン * サムタック・ジャック * ダニー・ハボック * DJハイド * デボン・ムーア * ドレイク・ヤンガー * ネイト・ヘイトリッド * ブレイン・ダメージ * ラッカス
過去の主力選手
JCベイリー * ジャスティス・ペイン * ジョニー・カジミア * ジョン・ザンディグ * トレント・アシッド * リック・ブレード
参戦した選手
アレックス・シェリー * イアン・ロッテン * AJスタイルズ * M-Dogg 20 * エル・ジェネリコ * 葛西純 * クラウディオ・カスタニョーリ * クリス・ヒーロー * コーポラル・ロビンソン * サブゥー * サンジェイ・ダット * サンドマン * CMパンク * ジェイ・ブリスコ * ジャック・エバンス * スパイク・ダッドリー * スーパー・クレイジー * TAJIRI * タタンカ * チャーリー・ハース * テディ・ハート * 2・タフ・トニー * トビー・クライン * トミー・ドリーマー * ニック・バーク * ネクロ・ブッチャー * NOSAWA * 藤田ミノル * ホームレス・ジミー * ホミサイド * マーク・ブリスコ * MASADA * マッドマン・ポンド * MEN'Sテイオー * ルフィスト * ロウ・キー * ロドリック・ストロング
その他
トーナメント・オブ・デス * ベスト・オブ・ザ・ベスト * CZW軍
【2011/01/03 23:21 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
華名
華名(かな、本名:浦井 佳奈子(うらい かなこ)、1981年9月26日 - )は、日本の女子プロレスラー、イラストレーター、ウェブデザイナー、ゲームライター。身長160cm、体重62kg、血液型O型。大阪府大阪市出身。大阪国際滝井高等学校卒業。大阪芸術大学短期大学部卒業。2009年7月1日、株式会社オフィス華名を設立。
目次 [非表示]
1 経歴・戦歴
2 華名のマニフェスト
3 必殺技
4 入場テーマ曲
5 獲得タイトル
6 外部リンク
経歴・戦歴 [編集]

2003年6月にAtoZに入門。
2004年6月16日、東京・後楽園ホールにおいて、対玲央奈戦でデビュー。全日本女子プロレスのタッグ・トーナメントで準優勝。パートナーは堀田祐美子。しかし、同日のつくば大会の西尾美香戦で左手首を骨折してしまう。
2005年5月4日、ジャガー横田戦で復活し、ダンプ松本、豊田真奈美、前川久美子等と激戦を繰り広げた。「AtoZは最高です!!」がキーワードであるAtoZの看板選手だった。
2006年3月19日、慢性腎炎による体調不良で引退。その後は前職であるデザインの仕事を再開し、デザインオフィス華名を立ち上げ。以降、エンターブレインの発刊誌ファミ通Xbox360でゲーム記事を担当するライター業も行っている。
2007年8月4日、再びプロレスラーとして現役に復帰する意向を発表。9月22日、プロレスリングSUNのリングで高橋奈苗とのシングルマッチで復帰。
2008年レギュラー参戦のNEO女子プロレスにおいて、高橋奈苗、夏樹☆たいよう、華名でトリオユニット『パッション・レッド』を結成。
2008年10月27日、格闘探偵団バトラーツ主催による女子版UWFを掲げた興行『女王バチ』のメインで、バトラーツ女子第一号の及川千尋との激戦を制し女UWFの第一人者であるとアピール。
2009年7月1日、株式会社オフィス華名を設立し、代表取締役社長となった。
2010年1月23日、『パッション・レッド』リーダー高橋奈苗との見解の相違を理由に、NEO新木場大会をもって『パッション・レッド』からの離脱を表明。その後、両者共シングル戦を希望していたが、NEO社長・甲田哲也は、「1%の信頼関係すらない状態では試合として成立しない」との判断から、試合を組まないとの決定を下した(代わりの相手には既にタッグ戦が決まってたさくらえみとなり、さくらは1興行2試合を戦う羽目に)。この影響で、高橋と共に出場予定だったセンダイガールズ主催「第2回戦場トーナメント」のエントリーも、「諸事情」を理由に取り消し、植松寿絵が代替出場。
2010年4月29日に初の自主興行「カナプロ」を開催。特別試合として藤波辰爾も参戦するなど男女の枠を越えた面子が集まった。
6月19日、紫雷美央、紫雷イオとユニット「トリプルテイルズ」を結成。
週刊プロレス8月18日号にて「華名のマニフェスト」を発表。女子レスラーとしては異例とも言える表紙も飾った。
パッション・レッドを離脱して以降はSMASH、プロレスリングWAVEを主戦場としている他、ローカルインディー団体などにも継続してスポット参戦を続けている。
2011年1月10日、2度目の自主興行「カナプロ2」開催が決まる。前回同様男子レスラー多数参加。
華名のマニフェスト [編集]

2010年、SMASHにおける朱里との抗争で「マニフェスト」を度々口にしていたが、「週刊プロレス」8月18日号にて女子プロレス改革を謳った「華名のマニフェスト」として発表した。
その内容は以下の五箇条からなる。
「無きに等しい女子レスラーの存在価値」の見直し
個性の確立できぬ者は去れ
女子プロレスファンにだけ通用するプロレスは即刻やめるべし
レスラー同士の慰め合い、傷の舐め合いはするな
嗚呼、無情。偽物の技の救出
このマニフェスト発表後、某大物女子レスラーからTAJIRI経由で抗議電話が来たり、JWPのレスラー陣がSMASHに乱入して抗争に発展するなど、物議を醸した。
必殺技 [編集]

ビリケン倒し
尻餅をつかせた相手の正面にあるロープに跳んで助走をつけ、相手の顔面へ低空のジャンピングヒップアタック。
ヒップアタック
カナゴン
ドラゴン・スリーパーとキャメルクラッチを複合したりリバースDDTと複合させた技。
入場テーマ曲 [編集]

檄!帝国華撃団
情熱浪漫乙女 - 復帰後のテーマ曲
太陽は昇る 大神 - SMASH参戦時等
獲得タイトル [編集]

第11代NEO認定タッグ王座(パートナーは高橋奈苗)
【2011/01/03 00:49 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
KAORU (プロレスラー)
KAORU(カオル、女性、本名:前田 薫(まえだ かおる)、1969年2月9日 - )は、日本のプロレスラー。長崎県佐世保市出身。日本人ルチャドーラの先駆者であり、覆面レスラー『インフェルナルKAORU』としての一面も持つ。また、FEVER DRAGON NEOで舞台にも出演している。
目次 [非表示]
1 所属
2 来歴・戦績
3 得意技
4 タイトル歴
5 入場テーマ曲
6 外部リンク
所属 [編集]

全日本女子プロレス(1986年 - 1991年)
ユニバーサル・プロレスリング(1991年 - 1993年)
フリーランス(1993年 - 1994年)
GAEA JAPAN(1994年 - 2005年)
フリーランス(2005年 - )
来歴・戦績 [編集]

1986年
全日本女子プロレスのオーディションに合格。同期にアジャ・コング・バイソン木村・工藤めぐみ・コンバット豊田・Coogaらがいる。
8月8日、東京・東村山スポーツセンターにおいて、対工藤めぐみ戦でデビュー。
その後、同期の高橋美華とタッグチーム『ハニーウイングス』を結成し、アイドルタッグとして活動をするが、中堅レスラーとしてそれ程目立った活躍は無かった。
1990年
ユニバーサル・プロレスリングが旗揚げした際、リングを全女が貸した縁で同団体のリングに上がり、注目されるようになる。
1991年
『ルチャリブレ』がやりたいと言う理由から全女を退団しユニバーサルに移籍、『日本人女性初のルチャドーラ』として活動し、TV女子王座に就くなどしていた。
のちに、ユニバーサルの経営難により退団。
1994年
長与千種が設立したGAEA JAPANに参加。
1995年
ファイトスタイルが似ているJWPの福岡晶と、当時としては珍しい団体の枠を超えたタッグチームを結成。12月には、第7代JWP認定タッグチャンピオンとなった。
1999年
GAEA JAPANに参戦していたライオネス飛鳥、アジャ・コング、加藤園子とのDorA(デッド・オア・アライブ)結成を機に、ルチャ仕込みの空中殺法に加えて、机の切れ端などを凶器として使うハードコアな戦闘スタイルに路線変更。これが吉と出て、翌年以降大ブレイク。
2000年
2月のGAEA JAPAN後楽園ホール大会にて同期のアジャ・コングの持つ念願のAAAWシングルのベルトに挑戦し、アジャの素手による裏拳にて惜しくも敗れるが、両者大流血の死闘を繰り広げる。
5月のGAEA JAPAN有明コロシアム大会にて長年敵対してきた尾崎魔弓とフリーウエポンマッチで対戦し、試合後両者が歩み寄り、後のD-FIX結成に繋がっていく。
2001年
5月のGAEA JAPAN後楽園ホール大会にて尾崎魔弓とヒールユニットD-FIXを結成。
7月のGAEA JAPAN後楽園ホール大会にて因縁のライオネス飛鳥とのハードコアマッチで両者KO引き分けの死闘を繰り広げる。
2002年
2月のGAEA JAPAN梅田ステラホール大会にてインフェルナルKAORUを久々に復活させる。
4月のGAEA JAPAN横浜文化体育館大会にて尾崎魔弓と組み、シュガー佐藤、永島千佳世の持つAAAWタッグ王座に挑戦し、KAORUがシュガーからエクスカリバーでピンフォール勝ちを収め、第7代AAAWタッグ王者になる。
2003年
4月のGAEA JAPAN横浜文化体育館大会にて尾崎魔弓と組み、抗争のあった長与千種、広田さくらのチーム・エキセントリックとカベジェラ・コントラ・カベジェラ戦で対戦し、尾崎が長与にアルゼンチン・バックブリーカーで敗れ、尾崎とともに坊主になる。
年末から翌年4月かけてに謎の長期欠場をする。
2004年
4月のGAEA JAPAN国立代々木競技場第2体育館大会にて復帰。尾崎魔弓、井上貴子と組み、デビル雅美、ダイナマイト・関西、イーグル沢井の重戦車トリオと対戦し、尾崎がデビルからオザキックでピンフォール勝ちを収めた。
5月の大会にて負傷をし、長期欠場に入る。
2005年
1月に復帰を果たすが、2月のライオネス飛鳥主催興行で負傷して、再度長期欠場に入る。また4月にGAEA JAPANが解散するに伴いフリーランスとなった。
2006年
4月の長与千種プロデュース興行Marvelous Night Miracle Game KAORU復帰戦にて大日本プロレスの関本大介、アブドーラ小林と組み、KAORUの復帰戦のために一夜限りの復帰をした長与千種、大日本プロレスの伊東竜二、佐々木貴組を相手にハードコアマッチで復帰戦を行い、長与千種からエクスカリバーでピンフォール勝ちを収めた。以降は尾崎魔弓が主宰する『OZアカデミー』を中心に活動している。
2007年
8月のOZアカデミー後楽園大会で久々に尾崎魔弓とのD-FIXを復活させ、植松寿絵、輝優優組と対戦し、輝を大流血に追い込み、勝利。以降、D-FIXとしての活動を再開させる。
2008年
3月頃よりOZアカデミーにて尾崎軍の一員として、活動している。
8月のOZアカデミー後楽園大会で尾崎軍およびD-FIXとして、遺恨のあったダイナマイト・関西、カルロス天野組とOZアカデミー認定タッグ王座を賭けて、カベジェラ・コントラ・カベジェラ3本勝負でKAORU、尾崎が立て続けにダイマナイト・関西からピンフォール勝ちを収め、ダイナマイト・関西を坊主にすると共に、第2代OZアカデミー認定タッグ王者となった。
12月デビル雅美引退興行にて、スーパーヒール・デビル雅美、ダンプ松本とタッグを組み、堀田祐美子、里村明衣子と久々に復帰した長与千種と6人タッグマッチで対戦し、デビルが長与から勝利を収めた。
2009年
2月のOZアカデミー後楽園ホール大会にて、スーパーヒール・植松寿絵のデビュー戦の相手を務める。
6月3日OZアカデミー新宿FACE大会、永島千佳世、加藤園子の持つOZアカデミー認定タッグ王座に挑戦し、尾崎が加藤から毒霧からの首固めでピンフォール勝ちを収め、第5代OZアカデミー認定タッグ王者となった。
8月2日OZアカデミー認定タッグ王者から陥落。以降尾崎魔弓との確執が続き、12月に尾崎軍から離脱する。
2010年
7月のOZアカデミー新宿FACE大会にて、カルロス天野の持つOZアカデミー認定無差別級王座に挑戦し、カルロス天野からピンフォール勝ちをおさめ、第8代OZアカデミー認定無差別級王者となった。
8月のOZアカデミー後楽園ホール大会にて、尾崎魔弓とOZアカデミー認定無差別級王座を賭け、ラストウーマンスタンディングマッチで対戦。勝利し、初防衛を果たした。
9月のSMASH新宿FACE大会にて、SMASHに初参戦し、朱里とハードコアマッチを行い、ラダーからのムーンサルトプレスからの片エビ固めでピンフォール勝ちを収めた。
得意技 [編集]

エクスカリバー
変形みちのくドライバーII。開発当初は試合中に乱発していたが、21世紀になってからはここぞという所で大事に使うようになった。
エクスカリバー2000
相手をデスバレーボムのように肩に担ぎ、相手の体を旋回させて前に移動させてからエクスカリバーのように脳天からマットに落とす技。使用回数は非常に少ない。
ハードコア・セントーン
相手を机の上に寝かせた状態でのセントーン。コーナー上から場外の相手に仕掛ける場合もある。
ハードコア・ムーンサルト
机の破片を胸に抱いた状態で繰り出すムーンサルト。使用する机の破片はハードコア・セントーンで真っ二つに折れた机の破片である場合が多い。
ヴァルキリー・スプラッシュ
ひねり式のムーンサルトプレス。初公開は1996年2月16日の後楽園ホール大会。ルチャドーラとしての彼女の一面を垣間見ることができる技。
スイングDDT
自身の体を大きく旋回させることにより、遠心力をつけて相手の脳天をマットに叩き付ける技。同名の技を使う選手は多いが、トップロープを蹴って反動を付けるのが彼女の特徴。長身の選手のため、リング中央で体を真横にして大きく旋回するこの技は非常に見た目のインパクトも強い。
619
WWEのレスラー、レイ・ミステリオの得意技。D-FIX結成後から多用するようになる。
ムーンサルトプレス
他の選手のムーンサルトプレスよりも滞空時間が長く、女子プロレス随一の華麗さを誇る。
タイトル歴 [編集]

第6代、第9代全日本タッグ王座(パートナーは高橋美華)
初代JC-TV認定女子シングル王座
第7代JWP認定タッグ王座(パートナーは福岡晶)
第7代AAAWタッグ王座(パートナーは尾崎魔弓)
初代大山プロレス女子シングル王座
第2代、第5代OZアカデミー認定タッグ王座(パートナーは尾崎魔弓)
第8代OZアカデミー認定無差別級王座
入場テーマ曲 [編集]

「FREE YOUR MIND」(DOUBLE)
【2011/01/03 00:48 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
植松寿絵
植松 寿絵(うえまつ としえ、1974年4月14日 - )は、日本の女子プロレスラー。静岡県富士宮市出身。
デビューしたGAEA JAPANの解散以降、フリーランスとして各団体に出場し、年間100試合以上をこなす。体の小ささを技術で補う技巧派・職人タイプのレスラー。前髪を立ててツノのようにし、目や口にペイントを施した出で立ちで試合を行う。トリッキーな動きや対戦相手を挑発するような動きで観客を沸かせる。
プロレスリングWAVEでは選手の他にコーチとしての役割も果たし、WAVE所属以外の練習参加を希望する選手も含めて、植松独自の方法で若手選手への指導を行っている。
また最近では表現力を学ぶ一環として舞台にも出演している。
目次 [非表示]
1 所属
2 経歴
3 得意技
4 タイトル歴
5 入場テーマ曲
6 外部リンク
所属 [編集]

GAEA JAPAN(1994年 - 2005年)
フリーランス(2005年 - )
FEVER DRAGON NEO(2008年 - )ただし舞台出演の場合のみ。
経歴 [編集]

1995年
4月15日、東京・後楽園ホールにおいて、対永島千佳世戦でGAEA JAPANでデビュー。時間切れ引き分け。
1996年
5月11日、東京・大田区体育館「第1回ジュニア・オールスター戦」において、チャパリータASARIと対戦、スカイツイスター・プレスで敗れる。
1997年
4月4日、アメリカ・WCWに遠征。WCW世界女子クルーザー級初代王座決定トーナメントに参戦。決勝でマリア・ホサカに勝利し初代王者となった。
2005年
4月10日、GAEA解散。以後フリーとしていろいろな大会に出場。
4月25日、M's一周年大会のワンデートーナメントのXとして、2回戦で栗原あゆみと対戦。
8月7日、M's「Mab〜夢を支配V〜」ワンデータッグトーナメントを輝優優とのタッグで優勝。
9月18日、東京・後楽園ホール(BRACE UP '05)において、輝優優と組んで、NEOマシンガンズ(タニー・マウス、宮崎有妃組)と対戦。スクールボーイで宮崎から勝利。
11月20日、M's「Mab〜夢を支配VIII〜」において、対アジャ・コング戦で勝利。
11月27日、東京・キネマ倶楽部において、闘牛・空と組んで、タニー・マウス、ウルティモ・モレノ組とマスカラ・コントラ・カベジェラで対戦。モレノのダイビングボディーアタックで敗れる。
12月11日、東京・後楽園ホール(STAND OUT)において、輝優優と組んで、NEOマシンガンズと対戦。タニーのミス・ミッコリで敗れる。
2006年
1月9日、東京・後楽園ホール(HOME COMING)において、宮崎有妃、さくらえみと3WAY戦。宮崎の外道クラッチで敗れる。
7月2日、「レディゴンまつり」において、輝優優と組んで、木村響子、闘牛・空組と対戦。丸め込みで空から勝利。
8月27日、東京・新宿FACE(M'sワンデータッグトーナメント)を輝優優とのタッグで優勝。
9月10日、新木場1stRING(“息吹”大会)において、吉田万里子と組んで、木村響子、チェリー組と対戦。吉田が足4の字固めで木村からギブアップ勝ち。その後沼津に直行し沼津プロレス旗揚げ戦に地元出身選手として参戦し大声援を浴びた。
11月16日 プロレスリングSUNでアメージング・コング率いるREM入りをした。
11月17日、東京・新宿FACE「第21回Ozアカデミー興行〜再会〜」において、永島千佳世と組んで、里村明衣子、加藤園子組と対戦。永島が裏足4の字固めで加藤からギブアップ勝ち。
2007年
1月14日、東京・後楽園ホールでのSUN「COLORS」にて行われたWDBタッグ王座決定戦にスティーブ・コリノと組んで参戦し、前村早紀・バンビ・キラー組を倒して第3代王者となった。
4月5日、東京・新木場1stRINGでのSUN「COLORS〜ココロはダイアモンド☆〜」にてWDBタッグ王座の防衛戦が行われ、挑戦者の\(^o^)/チエ・KUSHIDA組を破り初防衛に成功。
7月8日、東京・キネマ倶楽部でのJWP「Power up!!」にて行われたJWP認定タッグ選手権試合に輝優優と組んで挑戦し、阿部幸江・KAZUKI組を破って第27代JWP認定タッグ王者となった。
8月12日、東京・板橋グリーンホールでのJWP「Power up!!」にて行われたJWP認定タッグ選手権試合で初防衛に失敗、倉垣翼・春山香代子組が第28代王者となった。
8月18日、東京・後楽園ホールでのOZアカデミー「プラムの花咲くOZの国」に輝優優と出場し、この日復活を果たしたD-FIX(尾崎魔弓・KAORU)と対戦、随所で植松・輝らしさを見せたものの、復活で勢いのあったD-FIXに敗れる。
8月26日、東京・新木場1stRINGでのプロレスリングWAVE旗揚げ戦「Sail a way」に輝優優と出場し、この日約2年ぶりに膝の怪我から本格復帰を果たした桜花由美(パートナーは大向美智子)と対戦し、イス等を使ったシビアな攻撃で桜花選手の膝をあえて攻め立て、今までとは違ったヒールスタイルをWAVEのリングでは出していくことをアピール(試合は植松・輝組の勝利)。
9月30日、東京・ディファ有明での「MARVELOUS NIGHT MIRACLE GAME」で里村明衣子・永島千佳世と組み、輝優優・加藤園子・カルロス天野組とセミファイナルで対戦。師匠・長与千種が本部席で見守る中、ソラリーナで輝優優から3カウントを奪って勝利。なお、この日の試合は「デビル雅美レスラー30年突入記念興行」として行われ、メインに出場したデビル雅美は試合後に引退を表明。
10月3-8日、東京芸術劇場小ホール1で上演された劇団FEVER DRAGON NEO 第4回公演「RING」にKAORUと共に出演し、舞台女優デビューを果たした。「RING」は女子プロレスをテーマにした舞台で、他にレフェリーの伊東幸子も出演している。
11月4日、東京・後楽園ホールでのNEO女子プロレス「STAND OUT 07」で、希月あおい・野崎渚のチーム青春緑と組み、豊田真奈美・チェリー・石井美紀組と対戦。それまでの展開の中でチーム青春緑の最高顧問に就任させられたため、チームカラーに合わせ新人時代に着ていた緑色の水着を着て試合を行った。当の本人は入場から試合開始まで終始照れまくっていた。(試合は植松がノーザンライト・スープレックスで石井をフォールして勝利)
2008年
3月9日、東京・新宿FACEでのOZアカデミー「CALROS WORLD」にてデビル雅美とシングルで対戦し、ソラリーナでフォール勝ち。かつてGAEA JAPANでタッグを組み、それがレスラー人生における大きな転機となったデビル選手との対戦は現在の植松選手を存分にぶつける、恩返しに充分な試合内容となった。
3月12日、東京・新木場1stRINGでのプロレスリングWAVE「Weekday WAVE vol.3」にて春日萌花と組みJWPの日向あずみ・新関真由香組と対戦。この日が約1年2か月ぶりの復帰戦となる春日選手の練習のコーチを数か月前から行ってきた植松選手がタッグパートナーを務め、復帰試合を見守った。試合は最後、日向選手が期待を込めてのみちのくドライバーIIを放ち、春日選手がフォール負け。
3月15-16日、東京・シアターサンモールにて行われた舞台「こんなメンバーでやっちゃいました PART-7」に出演、昨年の「RING」に引き続き2度目の舞台出演を果たした。舞台は1970年代の歌番組の設定で、植松選手は番組ADの役で出演した。
3月30日、東京・新木場1stRINGでのプロレスリングWAVE「Climax WAVE Mar.」にて春日萌花とシングルマッチで対戦。復帰戦ではタッグを組んだがこの日は対戦することにより春日萌花の実戦での動きを確かめた。最後は「親バカだなぁ」とつぶやきながらドラゴン・スープレックス・ホールドを期待を込めて放ち勝利した。
4月13日、東京・後楽園ホールでのKAIENTAI-DOJO「CLUB-K SUPER ev.7」にて山縣優とシングルマッチで対戦。最後は溺遭(できあい)と名づけた技で山縣優がフォール勝ちを収めた。試合後は互いに感謝の意を表した後、植松が「今度はあなたが女子のリングに上がってください」とマイクアピール。
7月3-6日、東京・ウッディーシアターにて行われた劇団B→topsショートコメディ公演第5弾「B→chot〜V〜」に出演。6作品で構成されるオムニバスのうち3作品に出演、KAORUらとともにコメディー作品を演じた。
7月13日、東京・後楽園ホールでのNEO「SUMMER STAMPEDE 08」にてだいのぞみと対戦。団体所属レスラーのデビュー戦の相手をフリーの選手が務めるというのは通常あまりなく珍しい。
8月10日、東京・後楽園ホールでのOZアカデミー「プラムの花咲くOZの国2008 I」にて、デビル雅美が自らの試合後にリングに植松を呼び出し、スーパーヒールの継承を打診。植松は戸惑いながらも差し出された木刀を受け取り、継承を受諾した。
8月22-24日、大阪・インディペンデントシアター2ndで上演された劇団FEVER DRAGON NEO 第5回公演「RING〜Starting Over〜」に出演。「RING〜Starting Over〜」は昨年上演された女子プロレスをテーマにした舞台「RING」の続編にあたり、昨年も共演したKAORUや今回が初舞台となった栗原あゆみらとともに、実際と同名の選手役を舞台の中で演じた。なおこれ以降、舞台出演に関してはFEVER DRAGON NEO所属として活動することとなった。
10月12日、東京・新宿FACEでのJWP「Survival road.1」にて春山香代子・倉垣翼の持つJWP認定タッグ選手権・デイリースポーツ認定女子タッグ選手権に輝優優と組んで挑戦し、最後は輝がデビル雅美から受け継いだ技・ファイヤーバレーで倉垣をフォールし、植松・輝組が第29代JWP認定タッグ、第2代デイリースポーツ認定女子タッグの王者チームとなった。
10月31日、東京・新木場1stRINGでのプロレスリングWAVE「Climax WAVE・OCT」にて、輝優優と保持するJWP認定タッグ選手権・デイリースポーツ認定女子タッグ選手権を賭けてNOSAWA論外・MAZADAの東京愚連隊と対戦。女子のタイトルに男子が挑戦するという前代未聞のこのタイトルマッチは、最後は植松が急所攻撃からNOSAWA論外を丸め込み、タイトル防衛を果たした。なお、9月15日に行われた同一カードでのノンタイトル戦でリングアウトによって勝敗が決まったため、この試合ではリングアウトなし、反則裁定なしの完全決着ルールで行われた。
11月27-30日、東京・笹塚ファクトリーで上演された劇団FEVER DRAGON NEO 第6回公演「FAKE〜偽りの顔〜」に出演。死んだ信長が亡霊となって再び戦国の世に甦るという時代劇ホラーとでも呼ぶべき作品の中で、妖怪・牛蜘蛛を演じた。
12月28日、東京・後楽園ホールでのJWP「JWP-CLIMAX 2008」にて、輝優優と保持するJWP認定タッグ選手権・デイリースポーツ認定女子タッグ選手権を賭けて元気美佐恵・蹴射斗組と対戦。3日後に引退を控える元気が相手だったが、最後は輝がファイヤーバレーで蹴射斗をフォールし、植松・輝組が2度目の防衛を果たした。
12月30日、東京・後楽園ホールでの長与千種プロデュース興行「MARVELOUS NIGHT V」にて、この日引退するデビル雅美とメインで6人タッグで対戦。最後は植松がドラゴン・スープレックス・ホールドでデビルから3カウントを奪い、師匠と慕うデビルのレスラーとしての介錯人を務めた形となった。
2009年
1月25日、大阪・デルフィンアリーナでのJWP「Osaka Pure Fire!!2」にて、輝優優と保持するJWP認定タッグ選手権・デイリースポーツ認定女子タッグ選手権を賭けて堀田祐美子・蹴射斗組と対戦。蹴射斗がシュバインで植松をフォールし、植松・輝組は3度目の防衛を果たせず、堀田・蹴射斗組が新王者となった。
2月22日、東京・後楽園ホールでのOZアカデミー「魔性の花咲くOZの国」にてスーパーヒール・植松寿絵として出場。全身白のコスチュームで登場し、KAORUとシングルで対戦。最後はKAORUのエクスカリバーを切り返しての丸め込みで植松が勝利した。
4月4日、東京・新木場1stRINGでのプロレスリングWAVE「桜花由美Happy Birthday WAVE〜サクラサク2.0」にて、「植松WAVE」と題したスペシャルロイヤルランブルが行われ、参加選手全員が植松の歴代のコスチュームを身にまとい、コーナーで水を噴いて入場し、試合を行った。参加した選手は、GAMI、輝優優、中川ともか、ダイナマイト関西、桜花由美、木村響子、闘牛・空、植松寿絵、春日萌花。優勝は春日。
4月26日、東京・ベルサール六本木でのCHICK FIGHTS SUN「SUNSET〜Hikaru・前村さきFINAL〜」にて、日高郁人と組んで前村さき・藤田ミノル組と対戦、この日引退する前村と最後の対戦を行った。
4月29日、東京・新宿FACEでの極悪興行「極悪血祭りVIII」にて、チェリーと組み、ダンプ松本・サソリ組と対戦、この日引退するサソリと最後の対戦を行った。
4月30日、東京・後楽園ホールでの「Yes we can〜賭けと挑戦〜」にて行われた同世代選手による1DAYトーナメントに出場、1回戦で春山香代子と対戦するが敗戦し2回戦進出ならず。優勝は加藤園子、輝優優、永島千佳世を下した里村明衣子。
5月15日、静岡・富士宮市民体育館での富士宮プロレス旗揚げ戦に参戦、サクヤとシングルマッチを行い、地元・富士宮で開催されたイベントに花を添えた。
6月19日、大阪・ミナミ ムーブ・オンアリーナでの「テッド・タナベ追悼興行」にて、女子プロレス提供試合としてGAMIと組み、コマンド・ボリショイ&宮崎有妃組と試合を行い、生前、植松を始め数多くの選手の試合を裁いてきた故人を偲んだ。
8月2日、東京・キネマ倶楽部でのJWP「JWPNo.1夏女決定トーナメント2009」に出場、1回戦は蹴射斗から勝利、2回戦は日向あずみから勝利するが、準決勝で桜花由美に敗れる。トーナメントは決勝で桜花を破った米山香織が優勝した。
8月29-30日、千葉・三井ガーデンホテル 船橋ららぽーとで上演された劇団FEVER DRAGON NEO 第7回公演「FEEL SO GOOD」に出演。オムニバス3話のうち2話に登場した。
10月5日、NHK総合にて放送された「生中継 ふるさと一番!『富士山ろくにゴング鳴る〜静岡県富士宮市〜』」に富士宮プロレス、沼津プロレスの選手らと共に出演し試合を行った。NHKでは力道山以来となるプロレス試合生中継となった。
10月22日-11月1日、東京・笹塚ファクトリー、大阪・in→dependent theatre 2ndにて上演された劇団FEVER DRAGON NEO 第8回公演「RING 〜DESTINY〜」に出演、2年前から続くシリーズ作品に選手役で出演した。
2010年
3月14日、神奈川・川崎市体育館でのNEO「〜10周年記念大会〜 NEO SPECTACLE IN 聖地川崎」にて、芸能人女子フットサルチーム「南葛シューターズ」の藤本つかさ(アイスリボン)、吉川綾乃とタッグを組み、NEOマシンガンズと変則タッグマッチで対戦。南葛チームのセコンドには松原渓が付き、同フットサルチームの監督も務める高橋陽一も花束贈呈でリングに登場、一方のマシンガンズ側も串田アキラが登場し入場テーマ曲を生歌で歌うなど、かつて週刊少年ジャンプで連載をしていた作品同士の華やかな演出となった。試合はタニーが筋肉バスターで藤本から勝利した。
3月22日、大阪・世界館でのJWP「Road to MANIAX 2010 〜OCCリーグ戦」にて、KAZUKIと組みJWP認定タッグ&デイリースポーツ認定女子タッグ新王者決定トーナメント決勝戦でコマンド・ボリショイ・藪下めぐみ組と対戦、KAZUKIが藪下からフォールを奪い、植松組が第34代JWP認定タッグ、第7代デイリースポーツ認定女子タッグ王者となる。
5月30日、東京・新木場1stRINGでのプロレスリングWAVE「Sunday WAVE vol.4」にて「闘牛・空引退試合〜伝説のシングル5人がけ!」に3人目の対戦相手として出場。この日で引退することになった闘牛・空とシングルマッチを行った。
7月24日、東京・新宿FACEでの「SMASH.6」にてSMASHに初参戦し、小路晃と組んでAKIRA、リン・バイロン組と対戦した。「素の植松寿絵」をテーマにリングに上がり、いつものメイクや角はなく、リングコスチュームも白とオレンジを基調とした新しいものを使用して試合を行った。
8月29-30日、千葉・三井ガーデンホテル 船橋ららぽーとで上演された劇団FEVER DRAGON NEO 第9回公演「3on3」に出演。舞台本番期間中にも試合の予定が組まれていて、試合と舞台を交互にこなした。
9月19日、東京・新宿FACEでのJWP「JWP REVOLUTION 2010」にて、KAZUKIと組みJWP認定タッグ&デイリースポーツ認定女子タッグ防衛戦をアジャ・コング・阿部幸江組と行い、阿部がKAZUKIからフォールを奪い、王者組が6度目の防衛に失敗。
10月8-17日、東京・笹塚ファクトリーと大阪・世界館にて上演された劇団FEVER DRAGON NEO 第10回公演「RING 〜VALKYRIE〜」に出演。
得意技 [編集]

場外リングアウト(最近は使用していない)
ドラゴン・スープレックス
相手を背後からフルネルソンに捉え、後方にブリッジする。
ソラリーナ
相手の手首をリストロックに捉えながら相手の背後に回り込み、勢いをつけて相手の首に足を絡め、相手の重心をうまくコントロールしながら前方に倒し、丸め込んでフォールする技。右側からでも左側からでも仕掛けることができる。
ダイビング・ボディ・プレス
リングに仰向けにダウンしている相手目がけ、コーナーから自身の上体を叩きつけるように飛び降りる。時には場外の相手目がけて放つこともある。様々な選手が色々な形のダイビング・ボディ・プレスを使うが、植松の場合は空中でのフォームが鮮やかなのが特長。
ミサイルキック
リングに立っている相手目がけ、コーナーからドロップキックを放つ。シンプルな技だが植松はこだわりを持って使っている。以前NEOで松本浩代とシングルで対戦した際、松本に対して十数発のミサイルキックを続けざまに放ったことがある。
ハイアングル植松(輝優優との合体技)
仰向けにダウンしている相手の横に輝が立ち、その肩に植松が飛び乗る。植松が輝の髪を掴みながら体勢を整え、勢いをつけてボディ・プレスを放つ。安定したコーナーを使用する通常のダイビング・ボディ・プレスと違い不安定な人の体を使用するため、2人の呼吸と高度なバランス感覚が要求される連携技。
タイトル歴 [編集]

初代WCW世界女子クルーザー級
第11代、第16代AAAWタッグ王座(パートナーは輝優優)
第24代、第27代、第29代JWP認定タッグ王座(パートナーは輝優優)
第34代JWP認定タッグ王座(パートナーはKAZUKI)
第180代、第214代、第780代アイアンマンヘビーメタル級王座
第44代HHH王座
第3代WDBタッグ王座(パートナーはスティーブ・コリノ)
第2代デイリースポーツ認定女子タッグ(パートナーは輝優優)
第7代デイリースポーツ認定女子タッグ(パートナーはKAZUKI)
入場テーマ曲 [編集]

「RETURN TO THE DRAGON」(MANCHILD) 「united states」に収録。
【2011/01/03 00:48 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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